Danインタビュー 

 

珍しいDanの単独インタビュー。
06年、Homo Sapiensリリース直前のものです。こちらから。

--------------------------------------------------

Q: こんにちはDan! 以前メディアを賑わせていたころから、ずいぶん久しぶりな感じがしますが、一体みんな何をしてたんですか?

F: この前のアルバムを出した後、少しアメリカをツアーしてたんで、多くの人は俺たちが一時消えたみたいに思ったらしいね。移動フェスでThe Cureをサポートして素晴らしいツアーをこなしたんだけど、あれは特別な体験だったな。そのあと新しいアルバム用の曲のデモ制作に取りかかって、それに6カ月費やしただろ、で、レコーディングして。とても長いレコーディングでね。で、知ってるとおりDidzがいなくなって…バンドを辞めて。それからレコード会社と長い間喧嘩してて、ついにBMGを離れることになって、Sanctuary と再契約して、アルバムを完成して、ここまで来たと。ひどく長い道のりだったよ

Q: 一体なぜ新作にそんなに時間がかかったんですか?

F: デモを全部作り終えた段階で、当時のレーベルがその音源をどう処理していいかわからなかったらしくて。実際、3枚目のアルバムについては最初契約してもらえなくて。どういうつもりなんだか、選択権だとかなんだとか、そういうビジネス的なものを色々と並べ立てられて、最終的にようやく「わかった、このアルバムも作りましょう」ってことには一応なったんだけど。で、Adam and the AntsでドラマーをやってたChris Hughesっていう人に連絡を取ることになってね。彼はプロデューサーで、80年代に大きな仕事をたくさんしてて、最近ではElectric Soft Paradeを手がけたんだけど、彼の指示でソングライティングにもっと力を入れなければならなくなったんだ。つまり、アルバムの全曲をバラバラにして、始めからやり直したんだよ。基本的にはアコギと歌、もしくはピアノと歌の状態にまでバラして、さらに作曲に取り組んだんだけど、そんなことをやるのは初めてだった。自分たち自身のアイデアも尽きなかったんだけども、今回だけはソングライターとして上手くなってもいいかなって。でも俺たちにとっては、すごく奇妙な体験だったな。

Q: Didzはどういう状況で辞めることになったの?

F: 実はその頃アルバムの制作はほとんど終わってたんだ。Didzの問題は、家族がロンドンにいるってことだった。Nicoっていう娘がいて、俺たちはレディングを拠点にしてるし、アルバム制作に関しては、南西部のBath近郊をベースにしてるから、彼にとっては移動するのと家族を持つこととのバランスを取るのがすごく難しくなってしまったんだ。そんなわけで、最終的には、気づいたらもう遅かったっていう状況になってしまったんだよ。表からは見えないかもしれないけど、Didzはアルバムにあまり絡んでないような感じだったし、同時にカールからオファーがあったと。カールは新しいバンドを始めようとしてたんで、Didzからしてみたらロンドンを拠点にしたプロジェクトに参加する方が、もっとしっくり行ったんじゃないかな。家族の面 倒も見られるしね。

Q: じゃ、Didzにも、彼をさらっていったカールにも特にわだかまりはないわけですね?

F: 全然。すごく友好的に事が運んだよ。カールはとてもいいヤツだし、Didzは自分のやってることをとても楽しんでると思う。もうそこに居たくない、って奴を引き止めるわけにはいかないじゃん。そのあと数回会ってるし、日本ではDPTの連中と飲みに行って、カラオケしまくって飲みまくってそりゃあ楽しい夜を過ごしたよ。彼らはみんないい奴なんで、そんなこと簡単なんだよね。逆にいやな感情を抱けって方が難しいよ。

Q: 彼がバンドを離れたあと、どんな問題が生じたんですか?

F: 主にライブの問題だよね。誰かを入れた方がいいのか、俺たち5人だけでカバーできるか試してみるか。最終的には自分らでやることにして、上手く行ったけど。バンドに5人しかいないと、6人いた頃にくらべて間違いが少なくなるんだ。ライブの音ももっとタイトになった気がする。オレもKieranもBenもTomもみんなベースを弾くし、曲作りに関わってるし、みんな色々な楽器をプレイできて楽しいんじゃないかな。

Q: BMGとは一体何があったんですか?

F: 正直なところすごくショックだったんだけど、1stシングルのアートワークやビデオ撮影に取りかかったところで突然彼らが、やりたくない、と言い出してね。その頃SonyとBMGが合併しつつあって、まぁ結局さまざまな理由でそれも取り消しになったんだけど、とにかく新しく入ってきた人たちが、すべてを白紙の状態に戻したい、自分たちの手で契約したアーティスト以外とは仕事をしたくないと言い出したんだ。俺たちは明らかに6年前に、他のスタッフたちと契約したわけで……つまり彼らは自分たちの思い通 りに事を進めたかったんだろ。そのことに関しては不運だったけど、最終的にはこれ以上いいことはなかったと思うね。BMGを離れることで、多額の借金を帳消しにできたし、Sanctuaryはもっと小さいレーベルで、注意をすべて俺たちに向けてくれるから、すばらしいよ。

Q: しかも、それによってバンドの生命が断たれるどころか、あなたたちはかえって強くなったわけですよね。

F: その通り。とにかく色々なことを経験してねぇ。言ってみれば、もう解散ギリギリっていう瞬間も何度かあったんだけど、それだけはできないしね。前に進むしかないから。

Q: それだけのことが起こってたのに、多くの人があなたたちが消えたと勘違いしていたと。

F: うん。3年っていうのはこの世界から追いやられるには十分長い時間だし。この3年間であらゆるものが変わったよね。ギターミュージックがもっと注目されるようになって、俺たちが始めた頃よりも成功を収めてるよな。俺たちのことを知らない新しい世代も現れたし、新しいオーディエンスもできたし、もちろん初期の頃からずっと寄り添ってくれていたファンもいる。俺たちにとってはすごくワクワクする時代がやってきた感じだね。

Q: 契約したときはまだ19歳だったわけですよね。この世界に入ってからの6年の間に自分たちがどのくらい変わったと思いますか?

F: あぁ、もうみんな腰痛持ちのじいさんになっちゃって……なんてね。どうかな。こないだ何気なくNMEを読んでみてたら、俺たちのことを「インディーズの伝説」なんて書いてあってさぁ。どうやらそのくらい年らしいんだよね。 まぁ確かに昔より年取ったし醜くなった。今じゃもっと大人だよ、なんて言うのは嘘くさいしな…だって、正直言ってまだ全然そんな気がしないもん。

Q: 年ばっか食ってまったく賢くはなってないと!

F: その通り!

Q: じゃあ、あなたたちが今までに学んだ最も大事なことって何でしょう?

F: とにかくファンが一番大切だってこと。消えたと思われてた時期にだって、ウェブサイトはファンでにぎわってたし、彼らは常にそこにいてくれた。実際、いつでもいてくれて去りはしなかったんだ。ここ数年の危うい時期にも、まだいてくれて、新しい曲に喜んでくれて。ファンがいなければバンドにいたって意味がない。俺たちが身をもって学んだことがあるとすればそれだね。ファンからのサポートこそが、俺たちが何よりも大事にしているものなんだ。

Q: 新しいアルバムはどんなものになりますか?

F: 長く何かに関わってると、客観的に見る能力が低下しちゃうからなぁ。誠実な言い方をすれば、今までで一番バラエティに富んだアルバムだとは思うね。それぞれの曲がもっとしっかりしてる。以前は1曲作るのにアイデアが20あったかもしれないけど、今はもっとポイントが絞られていて、技術もソングライティングも向上してるし。でも曲のスタイルっていう意味では、今までのアルバムよりもさらに幅広くなったよ。

Q: Damageはかなり怒りを秘めた曲だけど、音楽業界に対しての怒りなんでしょ?

F: っていうか俺たちはいつでも怒ってるから。惨めなダメ男の集団なんでね。数年間この世界にいると、業界に対して目をキラキラさせて「わー、すっげぇ」って思うことなんてなくなっちゃうんだ。つうか業界の98%の人間はクソだなって気づいちゃうんだよ。Damageはそういうことに関する叫びではあるよね。怒りに注目するっていうのは、なかなかいいものなんだよ。芸術的なやり方で怒りに目を向けてみると、感情のはけ口になるんだ。

Q: 将来的には、自分たちがどうなっていくと思いますか?

F: わかんない。この業界にいたらもう、ほんとにわかんない。でも、うん、できるだけ長く続けていきたいと思ってるよ。