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1992年前後、南イングランド・バークシャーの地方都市レディング近郊の学校で、12歳のBen Gautrey (Vo., G, B)とTom Bellamy (G, B, Synth/Effect, Vo)が出会った。ブリット・ポップへの興味などを通 して意気投合した2人は、13歳頃からギターを手にし、同級生をドラマーに仕立ててHobo Jackというバンドを結成。当初からサウンドはヘヴィ一辺倒なものだった。 やがて16歳になると、同じ学校に通っていたDan Fisher(G, B, Vo)、ドラマーとなる他の同級生(彼もDanという名前だった)を加えてMarigoldを結成、学校のパーティーなどで演奏する(内容はかなりひどいものだったらしい…)。その後、元々友達で仲の良かったKieran Mahon(Key, B)が加わる。一説によると彼がいいキーボードを持っていたので、それをどうしても使いたかった、という理由から。 4人は、地元で毎夏開催されるレディング・フェスに参加したり、ライブを見に行ったり、音源の貸し借りをしながら様々な音楽に触れ、お互いに影響を及ぼし合い、世界を広げていった。
「超ヘタなイーグルスのコピーバンドって感じだった」 「ちょっとクーラ・シェイカーに似てた。
やがて郊外の養豚場に窓のない一軒家(のちのBleak House)を借りることに成功。そこを根城にリハーサルを繰り返し、バンドの夢を現実に近づけていく。しかしまだプロになることを本格的に考えていたわけではなく、Kieranは一時アフリカへボランティアをしに行っていたりした。 18歳になると、サウンドをさらにヘヴィにするため、メンバーを6人に増やした。人目を引くルックスと独特のキャラクターで地元では有名だった1学年下の Didz Hammond (B、05年脱退)、2学年上のJon Harper (Dr)が加入。Didzは自分のバンドを持っており、Jonも他のバンドで活動していた。上のような写 真が残っていることから、そもそも2人とも顔見知りだったと思われる。 この頃から次第に、彼らは自分達と、周囲の環境との間に違和感を感じ始めていた。そのことが、さらに6人を固く結びつけた。 典型的なロンドンの衛星都市レディング。 The Verveに触発されたファッションに身を包んで街を歩いていた彼らは、保守的な地元の若者たちからは完全に浮いており、差別
を受けてさえいた。
「ちょっと変わった格好をしてたら、 Didz、2001年頃
そして、ブリット・ポップが斜陽を迎えたイギリスのミュージック・シーンは米国産のヘヴィ・ロックやアイドル・ポップ一色に染まりつつあった。音楽を聴きたくても何も聴きたいものがない……彼らはそんなシーンにも行き詰まりを感じ始める。 誰もマトモなロックを作ってくれないのなら、自分たちで作るしかない。 プロになることを決意した彼らは、小さなライブハウスを精力的に回り、手弁当状態で精力的にツアーを繰り返すと同時に、デモ・テープを制作、20社に送りつけた。目立つため、わざと子供が描いたような絵をジャケットにし、チョコレートと自分たちを撮影したポラロイド写 真を同封(Crayon Demo)。 たった1社だけが、反応を見せた。最初に契約したBMG(RCA) UKである。結果的には、正式契約までの数か月の間に、多くのレコード会社からオファーがあったようだが、彼らは自分たちを最も理解してくれているとして、BMGを選び、1999年に正式契約した。 ここに、時代の流れに逆行したとも言える、ユニークなバンドが誕生した。メンバーがコロコロ楽器を持ち替え、狂ったように暴れ、タンバリンを破壊する。シンセサイザーが妙な雑音を出し、せっかく融合を見せているギターロックに水を差し、曲をまったく新しい印象に塗り替える。そうやって全員がくたくたになるまでプレイしたあと、ライブはアンコールもなくぷっつりと終わり、観客は唖然とした状態で取り残される。 ベン・ゴートレー、ダン・フィッシャー、トム・ベラミー、キエラン・マホン(以上当時19歳)、ディズ・ハモンド(18歳)、ジョン・ハーパー(21歳)。
つづく。 |
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