JonのUSツアー日記、@オフィシャルサイト

 

オフィシャルサイトに掲載されたJonのUSツアー日記を訳してみました。
脈絡なく話が飛ぶし、文章がシンプルなのでかえって状況がわかりにくいです。
(≧〜≦;)。
しかし、ツアーとはこんなにしんどいものなのねー(飲まなければもっと楽なのに) 長いので気をつけてくださいませ。さすがに字をデカクしてみました。

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コロラド州デンバー。

今、日曜の朝で、何もかもが絶望的で心細い感じがする。デンバーは、標高1マイルで、ロッキー山脈の手前の最後の街だ。今日はあんまり何も起こっていなくて、驚くべきことに二日酔いではない。というか、なかなかいい気分だ。しかし、バスの窓から見える風景は何時間も変わらない。これはライブをするのにあんましいい状況じゃない。
まあ、何もかもが上手く行って、人がたくさん来てくれるだろう。いや、そんなのどうしてわかる。大体街はどこにあるんだ? ビールをもう一杯飲んじまえ! たぶんその方がいい。とりあえずもう冷えてる頃だし。

今、何時なのかもわからない。俺の時計は、UKを発ったときから狂ってるし。でも、バスが朝7時出発なのはわかってる。ベガスまでは大体12時間かかるが、運転手のポールは、「眺めが素晴らしいから、最初の4時間は見逃しちゃダメだ」と言う。ということは、2つ方法があるわけだ。ギグを終わらせたらさっさとベッドに直行して、早起きするか。とにかくずっと起きてて幸運を待つか。何だか恐くなってきた。嫌気もさしてきた。ロッキー山脈を見なきゃいけないのか! 畜生! ベガスに着いたらきっと眠れるだろう。いや、眠れないかも。

今のところ、バスのドアをノックしてくる物乞いはいないようだ。ビールはあるかい? って。そりゃもちろんあるに決まってるけどさ! ある街で俺は、ドアをノックしてきた男に、ステキな夜をプレゼントしてやった。気前よくしてあげたい気分だったから、ライム入りのジン・トニックを作り、ケトル・チップスを一袋差し出し、数ドルを握らせたのだ。そしたら、「すまないんだけど、シーソルト味は好きじゃないんだ。ニューヨーク・チェダー味はないかね?」 だとさ。

今度のハコは小さい。片側に小さなバー・エリアがあって、ステージのある階下へとつながっている。150人も入ればいっぱいになる狭さで、壁には偉大なバンド達のポスターが貼られている。バーテンが長いこと後ろを向いてたら、トレイル・オブ・デッドのポスター盗んじまおうかな。
他の連中がどこにいるのかわからない。たぶんステーキでも食いに行ったんだろう。そして心配だ! ダラスで演った時みたいに、ドラム・セットが壊れないだろうか。スペア(のスティック?)はとても大切だ。盗みやがったあの野郎が憎い。ブリクストンのギグの後、地下鉄に乗って家に帰る途中、彼女と話してる間に、背中に背負ったバッグではよからぬ ことが起こっていたのだ。
まったく、あいつの手がなくなっちまえばいいのに!  つうか、俺からは他に何も盗むもんがなかったみたいじゃん! 
そうだな、そう考えると、やっぱりもう一杯ビールを飲んだ方がいい。

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ダラスでは、個人的に記念すべき出来事がいくつかあった。ステージでの悪夢も解消できたし。アンディとステーキを食いに出かけたら、これが今までのベストとも言える旨さだったし、ちょっとした文化的な体験もしたし。
ディズとアンディと俺でダウンタウンに行き、J.F.ケネディが撃たれた場所を見てきたのだ。決定打となった銃弾が撃ち込まれた場所に、十字架が立っていた。エルム街の悪夢! 犯人が待ちかまえてる所へケネディがまっすぐ突っ込んで行ったことが、どんなバカでもわかる仕掛けになっている。そして彼は犬コロのように撃ち殺されたわけだ。
権力に目のくらんだどっかの犬野郎だって、神と同じくらい高い地位に昇りつめたかったら、死ぬ しかないってことがわかるだろう。そしたらきっとあいつの冒した罪も消えるはず。
すばらしい。まだ僕の手には有り余るほどの時間がある!みんなで傍に行って草の茂った丘を見つめ、陰謀論について書かれた雑誌を買ってから、アップタウンへと戻った。

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LA。ハリウッド大通りのルーズヴェルト・ホテルに宿泊。ポールがバスを停め、俺たちは中に入った。なかなかいい感じ。ホテルは大きくて、城のような造りで、外にはプールもあり、ヤシの木やテラスつきの家と合わせてちょうど1930年代のハリウッド映画のセットみたいに見える。夕食に他の連中と会う前に、シャワーを浴びて着替えるのに十分な時間もあったし。

食事ができるボウリング場があったので、これはディナーにちょうどいいと思って、直行した。俺たちはバスでアメリカを横断し、とうとう逆側の海岸に出たわけだ。ざっと20日で。スペイン移民達はもっと時間がかかっただろうけど、その頃はそもそも道がなかったわけだから。というわけで祝祭の時間がやってきて、キエランがすばらしいスピーチで仕切り、たくさん乾杯した。みんな地獄のような一日のあとでくたびれていたので、メンバーの約半分は睡眠をとりに帰った。トムと俺、アンディ、キエランもそうすべきだったのだろうが、何といっても、LAに来るのは初めてだ。この地方の自然を探検しに行かなきゃならない。

飲んでいたのがどんな名のバーだったか覚えていないが、地獄のように暗くて、女主人はSuper Vixenか、他のラス・メイヤーの巨乳バイオレンスクラシックもののエキストラ女優のように見えた。彼女はテキーラの美味いブレンドの仕方を教えてくれたが、何杯か飲ったら醒めた頭で物を考えられるわけがない。長い、でも上々の夜だった。もちろん犠牲者は出たし、朝はあまりにも早く来てしまったが。

彼女はHobokenで演ったときのバーの女たちにも似てた。タトゥーのきつい、でもセクシーな女たち。彼女たちにはある種の自信があるのだ。Hobokenのギグは楽しかったが、ステージが小さくて最小限のPAしかなかった。オーディエンスは近く、chicken shit angel eyed boyがどうにか駆けつけてくれた。彼にたくさん酒をおごってもらった。楽しかったが、興奮していたのはむしろ、次の日NYに行けるからだったと思う。

太陽が照りつけるその中を、俺たちは"Hollywood"の文字を見るため、有名な丘へ向かう。予想していたよりもけっこう大変だった。アメリカ人の世界では、ホントに車がないとどこへも行けないことに、かなりうんざりする。しかしハコはなかなかよさそうだった。ステージが広く、楽屋の大きさもちょうどよく、機材もいい。

今夜はすべてが上手く行き、ライブも想像どおりに問題なく運んだし、たぶん今まで演った中でのベストライブの上位 に来るだろう。俺はバンドについてのニュースを書くことになっていたNMEのライター、ジョリーと長い時間をすごした。面 白い子だったが、彼女は運転するのであまり飲めず、俺は日本人ファンとアメリカ人でごった返すバスに戻った。

ディズはバンドの
他の連中と街に繰り出していき、ベンはと言えば、どうやら誘拐されたようだった。彼がどこに行ったのか、誰も知らなかった。トムはテキーラをいいかげん飲みすぎて、パンツ一丁でうろうろしていた。すげえいいパンツだった。

午前7時、ポールがバスに戻ってきて、出発したいと言う。ディズと俺は一晩中起きてて、フィッシュはポストロックを聞きながら後ろの方の座席でゆっくりしているが、まだベンなし状態だ。とうとう本人の携帯に電話して、出発すると告げたが、彼は自分がどこにいるのかわかっていなかった。全く知らない人間と一緒に車の中にいるという。たぶんこういう事態は誰かに任せた方がいいと思い、ベッドに向かうことにする。

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サンフランシスコ。地獄の夜だった。頭のいかれたヤツが多すぎる。また服を着たまま眠ってしまった。
の晩に起こったことは、大体、目覚めたときにどのくらい服を着ているかで想像できる。ジャケットも靴も脱ぐことができなかった夜はまだ一晩しかないが、基本的にその晩は目覚めるとすら思っていなかった。それ以上酔えばたぶん裸で寝るとは思うが、ベッドの中ではなく、病院かどこかで目覚めるかもしれない。何がわかるだろう。

サンフランシスコは美しい街だ。ギグはアップタウンで演った。この街には路面 電車がたくさん走っていて、恐ろしく高い丘がある。雨も素晴らしい。俺たちがここに来てからたった半歩踏み出したところで、雨雲がやってきて、積み荷をおろすために止むのを待たなければならなかった。みんなびしょ濡れだった。
地元のヤツが、スティーブ・マックイーンが街のどこかで踏み切って、まったく違う地域に着地した、とか言っていた。生まれて以来ずっと住んでいるというから、本当のことなのかもしれない。別 のヤツは、ロンドンに住んでいるのに、なんでサンフランシスコなんかに来たんだ、と言っていた。彼はロンドンに5年住んだことがあるらしく、ロンドンと比べてサンフランシスコは全然ダメだ、と思っているらしい。どうやらもうすぐメルボルン(オーストラリア)に越すのだという。なぜみんな俺にこんなことを話すのだろう? 

ライブはまたも成功だった。ハコの外でゲロを吐いてる女性がいて、自分のドラムキットを自分で車に運ぶドラマーは好きよ、とか言った。つうか他に運ぶヤツがいねえんだよ! その時だ。雨で濡れた段差で足を滑らせ、顔から転んだのは。地面 はレンガ袋のように硬かった。俺は今まで骨を折ったことがないのに。アルプスで肩を脱臼したことならあるけど。あれも痛かったが今度のは違う。腕が折れたという確信があった。でもフタを開けてみたらなんともなかった。腕はちょっと捻っただけだった。上手く行けば、明日は休みだ。それに、デフ・レパードは腕がなくてもやってたし。

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バンクーバーは1000マイル先だ。俺たちはオレゴンでちょっと小休止することになっている。ランドリーつきのホテルがあって、隣にはステーキハウスもあるし、それだけあれば俺には十分だ。運転手のポールが睡眠をとらないといけないので、停車するのだが、そうすると長い待ち時間ができる。もう待つのはたくさんだ! 今夜はあまり面 白いこともなくて、アンディと俺だけがバスにいて、彼のPCでバカな音楽をかけたり、彼がDLしたサウスパークのビデオを見たりして過ごした。

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どうやらジミー・キンメル・ショウはキャンセルになったようだ。もしそうなら、少し早く家に帰れるし、計画としてはいいことだと思う。というのは、俺も、みんなも、少し燃え尽きた感じがあったから。トムはツアーが終わったらLAでホリデイを過ごし、太陽の下でゆっくりしたいと言っていたが、そんなことができるかどうかわからない。こないだ太陽の下で何もしないでのんびりしたのはいつのことだったか思い出せない…。

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俺たちはRichard's on Richard'sにいる。なかなかいいショウになりそうだ。バンクーバーってのはホンットにいいところだ。今まで見た光景は素晴らしいもので、なんと山に近くて、同時に海にも近いのだ。

カナダには、すごく感銘を受けた。3大都市のどこも、街はのんびりしていて、クールで、特にモントリオールには、きれいな女性がうじゃうじゃいた。ショウのあと、ディズ、アンディPと俺は飯を食いに行き、そのあとナタリーとスティーヴが合流した。

ナタリーは元々ロンドンにいた友達で、スティーヴとバンクーバーに引っ越したばかりだった。スティーヴはカナダ人で、バンドをやってて、今まで会った中で一番イイヤツだった。

彼があるカフェに真っ先に行くべきだと言ったので、俺とディズは、てっきりスティーヴのオススメのカフェなんだと思ったのだが、実際は彼が他の場所で食事をしたことがないだけだった。近くて飯も食えるし、ホントに助かった。だが、失敗だったと気づくのに、長くはかからなかった。俺たち以外の客は、みんな売春婦だったのだ。

バンクーバーのこのエリアはつまり赤線地域で、ここは彼女らが落ち合い、コーヒーを飲んで、交替をする場所だったのだ。信じられない。ここではそういう仕事に関する法律がかなりゆるいのかもしれない。だって女の子たちはみんな全然みすぼらしい感じがしなかったし、ほとんど何も着ていなかったから。食事の間のいい楽しみができた。トイレに行きたいんだけど、彼女らの喧嘩から逃れようとするのは、危険な行動かもしれない。今までで一番異常な食事だった。

ライブは素晴らしく、ショウの後の食事は面白かった。ディズはスティーヴとナタリーのアパートに戻り、ワインを飲むとのことで、俺はアンディPと他の連中、そしてCallaと合流して深夜のパーティーをすることに決めた。クラブはホットな女の子たちでいっぱいで、トムがテーブルの上で踊ってる。

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カナダ国境を越えてアメリカに戻るのは困難だということがわかった。俺たちにできるだけ苦しみを背負わせようとする頭の固いクソ野郎どもが、仕事をしているからだった。

「お前ら、降りろ。荷物を持ってな。持ち物全部だ。何か申告すべきものを持ってないか?」

俺はポールに帽子を借りていた。その帽子にはFenderのロゴをモジって、Fuckerと書いてある。なかなかいい帽子で、気に入ってよく被っていた。ポールはそれをいつか俺が酒を飲んでる間になくすんじゃないかと心配したものだった。

税関の男は、その帽子を見て、俺にギタリストかどうか聞いた。俺はドラマーでギタリストはあいつです、と俺はフィッシュを指差して言った。その時、男は帽子に本当は何て書いてあるのかわかったようで、気分を害したらしい。すぐに彼はそっぽを向くと、フィッシュに近づいた。「ギター弾くのか? 俺の手を見てみろ。1963年からギターを弾いてるんだぜ。それがお前の手はどうだ」

フィッシュはブチ切れたようだった。俺はポールに近づくと、帽子のロゴを指さし、なくさなくてよかったと言った。ポールは笑って俺の背中を叩いた。そしたら税関の男が後ろから呼び止め、「おい、お前、その帽子に書いてる言葉で俺を呼びてぇのか?」と言った。そして彼らはバスに犬を放ち、ドラッグ検査をすることに決めた。もちろん何も見つからず、とうとう俺たちは一列に並ばされて、ひとりひとり犬に嗅がれることになった。犬はディズのタマの匂いを嗅ぐのに妙に長い時間をかけていた。結局、通 れることになった。
シアトルにやってきた。

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アメリカでの日曜のギグは、なぜかいつも変だ。イングランドでは日曜もまた仕事の日といった感じだが、ここではなぜかもっと静かなのだ。まず、一日をインストア・ギグから始める。みんな二日酔いで、演奏するムードではない。でもうまく行った。あまり人は来なかったが、逆によかったかもしれない。

演奏の間じゅう、ほとんど目を開けることができていなかったと思う。俺たちは全員、完璧にノビていて、俺はといえば、ライブのほとんどを眠りながら演奏していたはずだ。場所はEasy Street Recordsっていう素晴らしいレコード店。経営している男はスーパースターで、俺たちにTシャツを全部くれた。BMGの女性も素晴らしい人で彼女の車に積まれていたプロモCDをみんな、盗ませてくれた。このツアーで50枚くらいのCDをゲットしたから、手荷物がちょっと問題になるかもしれない。お礼としてアンディPに少しあげてもいいかも。彼はアラン・パーソンズ・プロジェクトのCDを何枚かせしめただけだったから。

シアトルはクールだ。ホームレスの人がたくさんうろうろしているが、それは俺たちのいる所だけで、街のほんの一部なんだろう。最後のギグだから、ハイに決めることにした。ショウの前にみんなで食事に出かけ、西洋化された日本食レストランに落ち着いた。またもやキエランが司会を務め、ツアーを素晴らしいスピーチでしめくくった。ポールにはキューバ葉巻の箱をプレゼントした。彼はとても喜んでいたみたいだ。

俺はイカ料理と寿司を食べることにした。ギグの前に寿司を食い過ぎるのはよくない。テキーラを飲むのも良くない。ギグの前にこんなに酔っぱらったのは初めてだ。ステージに上がる直前、ひとりの女の子が人をかき分けて楽屋に押し入ってきて、写 真を撮ったり、サインをさせたりした。彼女は前代未聞なくらいの強いウェールズ訛りで、これにはみんなびっくりした。

アンディはギグの間じゅう、俺を困らせようとした。ステージ脇から水を吹きかけたり、七面 鳥のスライスを投げたり。一枚が完璧に命中して、スネアのまん中に着地した。どうしてスタッフはいつも、最後のギグをこんな風にめちゃくちゃなやり方で盛り上げようとするんだろう? Black Rebelツアーの最後のギグでは、ステージに上がったら巨大なセロリが2本、ドラムスティックの代わりに置いてあった。彼は俺のセットリストを、「1.次の曲は何? 2.思い出せない? 3.そりゃあ困ったね!」と書いた紙と取り替えたこともあった。
今夜は楽器をバラシて、持って帰るものと置いていくものとに分けなくてはいけない日でもある。これは時間のかかる、大変な仕事なのだ。

バーには、何人かぶらぶらしている奴らがいて、俺たちに加わらないか、と言う。そのあとすぐそのバーは閉店になってしまったので、ホテルで続きをやることになった。スカイという名の男がいて、「メトロ・セクシャル」になることについて教えてくれた。あと数人の女の子がいた。

何が起こったかはあまり思い出せないが、とにかく飲んだ。ヒョウ柄のガウンを着てバカみたいに走り回った。みんないつ帰っていったのかわからないが、俺はディズの部屋の床で寝てしまった。2時間後に目覚めて自分の部屋の鍵を見つけ、ベッドに入る前にシャワーを浴びることにした。まだ酔ってるときには、これは良くない。

俺はバスタブの中で足を滑らせ、身体を強打した。頭と背中、そして脚。強くぶつけたのでものすごく痛かった。かなりの時間、そこに寝そべったままだったが、シャワーが出っぱなしだったので、だんだん風呂に湯がたまり始めた。フィッシャーを呼んで、引きずり出してもらわなきゃ、と思ったのだが、まずは座って、持ちこたえられるかどうか試してみた。バスタブに栓をして、シャワーは止めた。風呂の方が安全だ!

チェックアウトのことは覚えてない。国境のことも、空港に着いたことも覚えてない。フライトの大部分もあんまりはっきりしない。東ロンドンに帰る地下鉄のことも、うろ覚えだ。アパートに帰る前に、ソニアが家にいることを確認しなければならない。はるばる出向いていって、彼女が帰ってくるまで荷物と一緒に歩道のヘリに座って待つのはまっぴらだ。彼女はいる。やった、完璧だ。とても素晴らしいツアーだった。上り坂も下り坂も、天国も地獄もあった。でも、家に帰れるのは本当にいいことだ。すごくいいことだ。でも、戻ってきてまだ一カ月も経たないのに、またNYに行くのが待ちきれない。

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関わってくれたたくさんの人たちなくしては、このアメリカツアーはこんな風に成功しなかったことを忘れてはいけない。アシュレイ、スコット、マーク、リジー、マギー、フィリッパ、サラ、シャッキー、そしてBMG US、UKの人たち、ご苦労様でした。バスドライバーのポール、日本からわざわざケツを上げて騒ぎに来てくれたアンディ・プリンズ、アンディ・ヴィージー(ヴィージーになるのはイージーじゃないしね!)、ケネディ、ベルト、ピート、ピーター、デボラ、ダン、そして彼のビデオカメラ、サポートしてくれたCalla。俺たちを支えに信じられない距離をやって来てくれたみんな、俺たちがどんな奴らか見ようと、危険を冒してわざわざ来てくれたアメリカの人たち、ありがとう。